選手から見える世界と大人から見える世界のちがい

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

▼ついついかけてしまう声かけ。抱いてしまう気もち

サッカー指導をしていたり、子どものサッカーの試合をしていると、ついつい自分の指導している選手や自分の子どもに、「なんでそこまで走れないの!」とか「フォワードの選手が見えないの!?」などといった声かけや気もちを抱いてしまうことがあります。

▼子どものいる「位置」や「視野」について注意したり、コーチングをしてしまう

私も若い頃は、「選手に一生懸命声をかけたり・指示を送ることが良いコーチの証(あかし)」みたいに思っていたことがあったので、同じような注意やコーチングをしてしまっていました。選手の「心」や「気もち」や「頭の中で起こっていること」を学習した今となっては、自分のしたことは『まちがい』や『失敗』であったと判断しております。それはなぜ、『まちがい』や『失敗』だったのでしょうか?

▼自分が小学生の頃に遊んだ校庭や公園を思い出してください

あなたは大人になってから、ご自身が子どもの頃に遊んでいた学校の校庭や公園を、再び訪れたことがありますでしょうか?訪れたことがあるかたはわかると思いますが、子どもの頃には「広く」「大きく」見えた校庭や公園が、すごく「小さく」見えませんでしたでしょうか。多くのかたは(※)、小学校6年生の頃から身長が伸び、大人になれば身長が大きくなることで視野も広くなっているから、「小さく」見えるようになって当然のことのように思えます。

※該当されないかたは本当に申し訳ありません。

▼大人になって「小さく」見える校庭と子どもの頃に「広く」見えた校庭の『差』

大人になって「小さく」見える校庭と、子どもの頃に「広く」見えた校庭の『差』をイメージできましたでしょうか。イメージができたのなら、それはそのまま「サッカーの試合の中で、『子どもが見える世界』と『大人が見えている世界』の差」となるのです。それぐらい、子どもは自分が試合を行うフィールド(=コート)が広く大きく見えているものなのです。

▼私自身が、その『差』を理解できなかった大人

そうです。若い頃の私がまさしく、その「大人と子どもの、フィールド(=グランド)の見え方のちがい」を理解できなかった大人だったのです。自分は監督やコーチだったから、ベンチという、フィールドを一望できる見晴らしのいい所に座っている(or立っている)。そしてそこから、「逆サイドが空いてるだろ!」、「前のスペースが見えないの!??」などといったコーチングをしていました。今思うと、そんなのはコーチングでもなんでもなくて、単なる『暴言』ぐらいのレベルだと思いますが。

▼なにがいけなかったの!??

そしてそれらの「外から見た『暴言』」は、なにがいけなかったか!??というと、それらは全て、「選手から見える世界」の話ではないからです。つまり「選手目線のコーチング」になっていなかったからです。わかりやすく具体例をあげるなら、下のイラストは、「ボールを保持している選手から見た、相手の選手」のイラストになります。

▼ボールを保持している選手から見た、相手の選手

ボールを扱っている選手ならば、見えている世界はせいぜいこのくらいです。中学生や高校生でも、「ボールを扱っている場面」ならば、このぐらいです。このぐらいしか見えない世界で、子どもたちは一生懸命周りを見ようとし、なおかつ一生懸命にサッカーをプレーしようとしているのです。そんな一生懸命にいろんなことを同時に行おうとしている選手に、私は(よほどの事情がないかぎり)コーチングをすることなんてできません。※

※このことは、選手の年齢やレベルによって異なりますが。

▼では、なにをすればよかったの!??

それはずばり、まずは「『グランドの外側から見ているおとな』と『グランドの中で走るこども』の見える世界のちがい」を理解してあげてください。そのことを理解しているだけで、あなたの声のかけ方や気もちは、全然ちがったものになると思います。そしてそれはそのまま選手(もしくは子ども)に伝わりますので、選手(もしくは子ども)の気もちは、全然良いものとなって、結果に表れると思います。お互いに気分よくサッカーに取り組める(=サッカー人生が幸せになれる)のなら、そのほうがよいのではないでしょうか。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク